スポット展示
スポット展示「草野心平と動物」
会期 2026年7月11日(土)~9月27日(日)
詩人の草野心平(1903~1988)は、人生で多くの時間を動物と共に暮らしました。これは、「すべてのものと共に生きる」という心平の共生感にも通じています。
心平が一緒に暮らした動物の種類は、カエル、小動物、魚、昆虫など、多岐に及びます。さらに、命名の天才であった心平は、どの動物にも親しみを持って接し、名前をつけています。動物たちの名前は、心平が見てきた景色や体感したことなどに由来しました。
心平と共に過ごしてきた動物たちは、作品や書画、写真の中に見ることができます。
本展では、動物に関わる作品や写真、パステル画などを紹介します。心平が愛した動物たちを身近に感じてください。
スポット展示「せいの梨作り」
会期 2026年10月3日(土)~11月29日(日)
菊竹山腹の小作開拓農民三野混沌が初めて梨を植えたのは、大正5(1916)年のことです。60本の梨の木を植えました。父吉野徳治が言った、ここは土が重いから、梨ならできるだろうに従い、1年でも早く収穫ができるように、開墾し整地してから植えるのではなく、梨を植えるための植穴の周囲だけを耕し、肥料を入れて梨の木を定植してから、その後にその梨の間を開墾するというやり方でした。その甲斐あって、初めての収穫は大正9(1920)年の秋のことでした。
翌大正10年、吉野せいは混沌と結婚し、以後1町6反歩を開墾し1町歩の梨畑と自給のための穀物作りに血汗を絞ってきたといいます。特に梨作りには熱心で、せいは最晩年のまでの五十余年に渡り梨作りに精を出しました。
せいが栽培していた梨の品種は、「梨花鎮魂」(昭和6年)には長十郎、青梨(二十世紀)、中屋の3品種、「赭い畑」(昭和10年秋のこと)には、長十郎と早生赤の2種類、「公定価格」(昭和17年秋のこと)には中国ナシの菜陽慈梨(ライヤンツーリー)と鴨梨(ヤーリー)の2種類の記載がありますから、戦前はこれらの梨を栽培し、戦後は二十世紀や新高を作っていたものと思われます。
純白に咲く甘い匂いのする梨の花が何よりも好きだった吉野せい。1年中梨の世話に明け暮れ、春、枝一面に満開の白い花をつけさせる。それは生後8か月で亡くした娘梨花の供養のためだったのか、あるいは贖罪だったのか。
本展では、生涯を梨とともに生きてきた農民せいの梨栽培への思いや実際に栽培した大正から昭和にかけての梨を紹介します。
出品予定数 吉野せい原稿、愛用の剪定鋏など 約20点
※「せいの梨作り」については、10月10日(土)開催 小さな企画展「心平が愛でた秋の花」 市民講座で解説します。
スポット展示「河林満」
会期 2026年12月5日(土)~2027年1月24日(日)
スポット展示「草野天平」
会期 2027年1月30日(土)~3月28日(日)
スポット展示「猪狩満直―北海道時代の詩作―」
会期 2026年4月10日(土)~6月21日(日)
詩人・猪狩満直(いがり・みつなお)は、明治31(1898)年5月9日、福島県石城郡好間村(現在のいわき市好間町)川中子に生まれました。
1歳で父と死別し、翌年、母が実父の弟と再婚。19歳頃から義父をめぐる葛藤が高じてキリスト教に救いを求め、大正6(1917)年に受洗、聖書研究に没頭します。この頃より文学にも傾倒し、自らも詩を書き、絵を描くようになります。
大正11年に満直が創刊した謄写版印刷の詩誌「播種者の群」には、吉野せい(1899~1977)の夫三野混沌(1894~1970)や草野心平(1903~1988)らも寄稿しました。
大正14年4月、満直は、政府の北海道移民募集に応募し、妻子とともに現在の北海道釧路国阿寒郡舌辛村25線(現在の釧路市阿寒町)で開墾生活に入りました。
この頃の満直は、義父との確執も険悪の度を加え、生活苦に悩まされており、混沌らの反対を押し切っての移住でした。
「時間空間の意識もない」激しい労働に従事した満直ですが、開墾の現実は厳しいもので、翌年には妻が体調を崩してしまいます。
一方で満直は、希望に満ちながらも過酷な生活をもとに詩歌をつくり、それらの作品が彼を励ましもしたのです。
本展では、満直が北海道で刊行した詩集『移住民』(昭和4年 銅鑼社)、『農勢調査』(昭和6年 海岸線社)はじめ、彼が作品を発表した雑誌、そして自筆原稿をとおして、いわきゆかりの詩人の魅力を紹介します。